額 堂

   国指定重要文化財  1861年建立

   第一額堂(三升の額堂)焼失迄は第二額堂と呼ばれていました。

成田山 額堂

額  堂 

奉納された額や絵馬を飾る為のお堂

 

額堂は東日本大震災で少し右側に傾いた為、耐震補強を実施しました。

この時同時に屋根も葺き替えられました。


四隅には鉄パイプによる

耐震補強が実施された。

2016年5月31日完成

柱は以前「根接ぎ」していた

部分を、今回は金属ベルトで

補強しています。

四隅には鉄パイプが

補強前には(写真上)

鉄パイプはありません



額堂床には向かって左から

梵  鐘・  勝軍地蔵尊・  ・方位盤・ ・七代目市川團十郎の石像・ ・地球儀

[梵 鐘]

    江戸時代(1867年)に鋳造されたと思います。(金属類回収令での供出なし)

      昭和43年迄、門前町に時を告げていた梵鐘です。

[勝軍地蔵尊](しょうぐんじぞうそん)

    勝軍地蔵尊に祈れば、戦いに勝つという地蔵で鎌倉時代以降武家の間で

   信仰されたようです。

[ 位 盤]

方位盤は群馬県伊勢崎町の佐藤藤三郎氏奉納とあります。

成田山の御信徒は関東一円いや日本中にいたようです。

  南の方角には東金・勝浦・小湊

  西の方角には東京・福井など

  艮(うしとら)[北東]の方角には

鹿島・佐原・香取等の地名も見えます。

  又北條・大聖寺などの地名も

現在のどかだか分かりますか?

   現在は額堂内への立ち入りが出来ない為

   方位盤上面の写真撮影が出来ません。

  この写真は耐震補強工事中ガードマンに撮影して頂きました。


[七代目市川團十郎の石像]

       七代目團十郎の石像は、自身が奉納した第一額堂内にありましたが

     第一額堂は昭和40年に放火により焼失いたしました。この為石像を

     第二額堂内の現在位置に移設いたしました。

     右の拡大写真を見ると鼻が欠けて修理の跡が見られます。


[地 球 儀]

            作製は、神田岩井町の紀伊国屋伝七が請負、

             技師は村田鉄之助、   鋳工は大島金太郎

    明治40 年(1907 11 月に東京上野の牛肉店の奥平洋三、梅子ご夫妻が

    店名の「世界」にちなんで、日露戦争の戦勝記念に奉納したものです。

   直径 約110cmの青銅製で、子午環儀の上に23.5 度の傾斜をもって

   設置されていて、大日本帝国の範囲に銀の象嵌を施していました。

   [日本帝国を銀色にしたるは目立ちて見せんが為なり、これを看る人能く

   注意して此国を思ひ、彌々将来の発展を図り、益々此色を輝かすことに

   心掛けられたし]と説明が当時はあったようです。

 

額堂の彫り物は後藤勇次郎(二代目後藤弥太郎名跡)作

   


額堂左前隅の木鼻龍

創建時は全ての龍に「金具の目があったと思われます」が、

現在はこの龍の左目のみに銅製金具の目が残っている。

 他の龍は全て無くなっています。長年の風化によるものと思われます。

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成田山ガイド A
額堂の歴史 奉納物 奉納額
額 堂HP.pdf
PDFファイル 1.1 MB
ダウンロード
成田山ガイド A
方位盤について
方位盤HP.pdf
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第一額堂(三升の額堂)

七代目市川團十郎寄進の額堂(写真を撮影)

 彫工 長坂猪之助友雅

 

七代目市川團十郎が一千両(現在のお金で一億円ぐらいか?)の

大金をもって1821年に奉納した額堂は、三重塔の傍にあったが、

1965年(昭和40年)不審火(放火)により焼失した。

市川宗家の定紋が三升である為、

 三升の額堂(第一額堂)と呼ばれていました。 

 

三重塔左側に「三升の額堂」が描かれています。

この絵の本堂は、屋根の形から現在の釈迦堂ですね。

貫首の句碑

貫 首 の 句 碑

中興第十五世   中興第十六世
中興第十五世   中興第十六世

二基の貫首の句碑                 無くなった二基の句碑

エレベーター新設の為に、貫首の句碑は無くなりました。

右の写真は2015年10月撮影

無事に戻って来ました貫首の句碑(2基)(2016.12.23日撮影)


 中興第十七世  中興第十四世
 中興第十七世  中興第十四世

 

これら四基の句碑は再度成田山公園入口右側に移設されました

これにより全て貫主の句碑は成田山公園入口左右にまとめられています。

第十三世から第十九世貫主の句碑七基があります。

 

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額堂周りの貫首の句碑
中興大十四世から十七世までの句碑
額堂周りの貫首の句碑HP.pdf
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