仁王門

    国指定重要文化財 1831年建立

仁王門

仁王門は1831年に再建された。

仁王門の説明板には1830年とあるが成田山HP・新修成田山史では 1831年との記述あり

門の形式は三間一戸の八脚門で総欅造りである。

左右の羽目板を見ると、2メートル程の大木を使用していることがわかる。

この様な欅の大木は現在あるのだろうか?

仁王門
仁王門の2メートル程の堂羽目

江戸時代には、この様な欅の大木があった様だ。

一本の木で四本の柱が取れたと言われています。

 

[成田山]大額

右から成田山と書かれています

東大寺別当道恕大僧正の揮毫

 

仁王門の[琴 棋 書 画]を堪能しよう!

昔中国では支配階級の人達がたしなむべき

四つの芸事 [琴・囲碁・書道・絵画]

彫工は後藤亀之介

お 琴
お 琴
囲 碁
囲 碁

書 道
書 道
絵 画
絵 画

[司馬温公の瓶割]

温公は子供の頃、大きな水瓶に落ちた友達を助けるために、

石で瓶を割り友達を助け出しました。

しかし大切な瓶を割ったので父親に叱られることを覚悟していましたが、

父親は温公をほめて、命の大切さを教えたと言いわれています。

 

温公は司馬光といい中国北宋代の儒学者・歴史家・政治家。

「資治通鑑」を書いた学者としても知られています。

[司馬温公の瓶割]は、ここ成田山の一切経堂の火頭窓にも、

また日光東照宮の陽明門にもあります。

 

日光東照宮陽明門の琴棋書画

下の写真は2017年6月撮影

陽明門は修理が終わったばかりなので色彩が鮮やかです。

司馬温厚の瓶割の写真撮り忘れました大変残念です。

琴(お琴)

書(書道)

棋(囲碁)

画(絵画)


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琴棋書画 竹林の七賢人 司馬温厚の瓶割 龍馬
魚がしの提灯 仁王像 四天王 毘沙門天と上杉謙信
仁王門HP.pdf
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囲 碁
囲 碁

仁王門の説明板には、左の囲碁をしている彫刻を

「竹林の七賢人」との説明があります。

これは「琴棋書画」の四つの芸事として彫られている物で

竹林の七賢人との説明は間違いと思います。

ガイドの方は注意して下さい。

囲碁をしている場面を見て竹林の七賢人と

勘違いしたのでしょうか?

 詳しくは下記ファイルを見て下さい。


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竹林の七賢人の説明に対する疑問
竹林の七賢人HP.pdf
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***龍  馬***

これは獅子頭ではありません。頭は龍・足は馬  即ち[龍馬](りゅうめ)です。

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仁王門に使用されている欅の大木
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   密迹金剛   (吽形)
   密迹金剛  (吽形)
     那羅延金剛    (阿形)
  那羅延金剛  (阿形)

仁王像は通常仁王門に向かって、右側には阿形・左側は吽形

 

サンスクリットの十二母音の最初の音は「阿」最後の音は「吽」である。

それ密教では「万物の根源」の象徴とされている。 

阿形・吽形は金剛力士像や狛犬でおなじみですが、 

ほとんど全ての霊獣や霊鳥には阿吽があります。 

詳しくは[雑学の杜]の項を参照して下さい。

 

 多聞天  (北) 
 多聞天  (北) 
広目天 (西)
広目天 (西)

仁王門の裏仏

多聞天、広目天は宝永 3 年(1706 年) 佐倉藩主稲葉正通氏寄進 

 

多聞天は独尊では毘沙門天として祀られます。多聞天は意訳で毘沙門天は音訳です。

多聞天は邪鬼を両足で踏みつけています。 

邪鬼とは仏法を犯す邪神として懲らしめられ、苦悶の表情をみせる。

 

増長天・持国天の絵が平和の大塔2階明王殿入口左右に描かれています。 

 

邪鬼の指は3本か?

「人」に反抗し続けた結果、弓が引けない様に

親指を切り落とされ、剣を振り下ろせない様に

小指を切り落とされてしまったその為、両手の

指が三本ずつしかないといわれている。

仁王門の多聞天が踏みつけている邪鬼


高雄山薬王院の四天王門の邪鬼

四天王に踏みつけられている邪鬼の手足の指は三本である。


増長天

持国天

多聞天

広目


高雄山薬王院の四天王門に奉安されている邪鬼は、手足の指が3本しかないのが良くわかります。

成田山平和の大塔明王殿内の増長天・持国天に踏みつけられている邪鬼の指は5本です。指は3本にして欲しかったですね。

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七福神 毘沙門天と上杉謙信
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御 真 言

広目天   オン ビロバクシャ ノウギャ ヂハタエイ ソワカ 

多聞天(毘沙門天) オン ベイシラマンダヤ ソワカ    

 

 魚がし奉納の提灯

昭和43年(大本堂建立時)に東京築地の魚河岸の旦那衆が奉納

砲金(青銅の一種)で出来ている為、折りたたむことは出来ません。

 重さも800キロ(軽自動車ぐらい)と大変重い。

直径8尺(2.4M) 高さ2.8M

因みに浅草寺雷門の提灯の直径は11尺(3.3M)と大きい。

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浅草寺大提灯の大きさ比較
浅草寺の大提灯HP.pdf
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仁王門には、なぜ「わらじ」を奉納してるのでしょう? 

仁王さんは健脚の持ち主と昔から伝えられています。

それ故この健脚にあやかりたいと飛脚やお伊勢参りの旅人が奉納したのが始まりの様です。 

仁王橋左側の岩はこれと云った

形をしていません.(特に名前はありません)

仁王橋右側には亀の形をした

亀岩があります.(亀岩と呼ばれています)


仁王池の亀岩には、この様に赤いペンキが塗られた亀が二匹いました。

昔この放生池には、年代が書かれた亀がいたとの記述がありました。

これを見た方が、真似をして亀の甲羅に赤いペンキを塗り描いたものでしょう。

2012年頃に放生されたと思われます。

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矜羯羅童子と制吒迦童子
赤いペンキの亀
仁王門をくぐるとHP.pdf
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17段

                         
                         

3段

33段

      
      

   急勾配の石段には深い意味があります。 

石段は下から17段・3段・33段全部で53段です。53と聞けば、皆さん何を思いますか?

東海道53次ですね。宿場の数が53か所だ。

 

仏の道を求める善財童子が五十三人の善知識者を尋ねて

深い智慧と大いなる慈悲の心を身に付けたところに由来します。

皆様がこの急勾配の石段を一歩一歩踏みしめて、お不動様にお参りすることにより

[智慧と慈悲の心]を深められるよう願っての事です。 

53段の詳しい理由を知りたい方は、下記ファイルをご覧下さい。

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成田山の石段は何故急勾配なのか?
急勾配の石段HP.pdf
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仁王門を囲っている玉垣(たまがき)は、明治初期に造られたであろう。(推定)

玉垣には[八丁堀 宮城野馬五郎]の名前が見られる。

宮城野馬五郎は明治初期に活躍した大相撲力士で後に

二枚鑑札により宮城野部屋の親方となる。

宮城野部屋といえば横綱白鵬が所属する宮城野部屋である。


光輪郭から大本堂への石段右側には、「高砂家 市毛ちかの碑」の文字が見える。

「石毛ちか」とは水戸市出身の大横綱常陸山の奥さんである。

 

大相撲関係では、大関名寄岩の名前も見られます。(出世稲荷の項参照)

 

仁王門への17段の石段

明治時代に造られたであろう素晴らしい石段

この17段の石段は、花崗岩の一枚板で造られている大変贅沢な石段である。